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by yutanofu
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2007年 05月 25日 ( 1 )

合併の難しさ

なぜ、ダイムラーは失敗したのか 「世紀の合併」の末路
自動車大手のダイムラークライスラーが、米国のクライスラー部門を米投資ファンドのサーベラス・キャピタル・マネジメントに売却することが決まった。1998年にドイツの旧ダイムラー・ベンツと米クライスラーが発表した両社の合意は、「世紀の合併」と衝撃を与え、自動車各社を規模の追求へと駆り立て、世界的大再編の流れを加速させた。しかし、その先頭走者だったダイムラーが「国境を越えたシナジー効果」を引き出せないまま、巨大合併の主役の座を降板する。
提携相手と融和するより、支配者として振る舞う
なぜ、ダイムラーは失敗したのか。高級車市場で圧倒的な強さを持つメルセデス・ベンツの高すぎるプライドと、提携相手の企業文化と融和するより自社の論理を優先させ、「支配-被支配」の関係を求めてしまうドイツ流のドライな感覚が、相手側に受け入れられなかった結果ではないか。この10年ほどの世界再編の時代を知る日本メーカー関係者からは「あのやり方では予想された結末だ」との声が聞こえてくる。
米国では、ドイツから乗り込んできたダイムラー幹部がクライスラー内でさっそく主導権を握って、旧クライスラーの社員の反発と士気低下を招き、優秀な人材は次々に流出した。乗用車同士の技術交流も「ベンツブランドのイメージを落とすことはできない」としてクライスラーへ最新技術の供与を行わず、当然、クライスラーの持ち味である量産技術をベンツに役立てる発想にも乏しかった。合併後のクライスラーは好不調の波が激しくリストラを繰り返して、合併直後は約12万人いた人員が8万人に、販売台数も323万台から265万台に落ち込んだ。
そもそも、ダイムラーは日本の資本提携先として、最初は当時不振にあえいでいた日産自動車を狙っていた。日産側も一時は出資を期待したが、一気に子会社する方針とグループ会社の大胆な整理を求めたダイムラー側の過酷な条件をのむことができず、日産は断念して仏ルノーとの提携に向かった。ゴーン改革でその後の日産社内の締め付けは厳しくなったものの、関係者は「フランス企業のルノーらしい穏当な融和策が日産の改革をやりやすくした。ルノーでなくダイムラーを選んでいたら日産もどうなっていたか」と、投資ファンドに身を委ねることになったクライスラーと絡めて巨大合併の難しさを振り返る。


日本でも、他業界では合併や統合が当たり前になってきている。少子高齢社会・消費の多様化などで、採算が合わずに事業部門を精算・売却する企業が増えている。
そのような中で、当時国を越え、高級車と大衆車というカテゴリーも越えた合併だったのが、ダイムラーとクライスラーだった。しかし、その後両者、というよりダイムラー側が折り合おうとせず、今回の解消につながったと記事では分析している。
確かに、上手くいっている企業は自分のやり方を変えたがらない。むしろ、自分のやり方を相手に押し付ける。また、ダイムラー自身が大衆車をつくらないという意識が強く、クライスラーは傘下に収めただけで何もせず、衰退させてしまった。
合併まではいかなくても、業務・資本提携は、提携後のケアが大切になる。互いの企業価値や成長度合いを見続け、危うくなればアドバイスするなど、何らかの支援が必要になる。買収したい企業は別にして、単なる販売などの業務提携でも、指標・軸を持って相手をウォッチし続ける必要がある。

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by yutanofu | 2007-05-25 13:08 | 経済・企業ニュース